ストーリーもさることながら、まさに一人の役者の演技に翻弄され、他の登場人物とともにわれわれ観客も振り回され続けるのです。

監督は、グレゴリー・ホブリット。1996年製作。キャストは、『アメリカン・ジゴロ』『愛と青春の旅たち』などで当時売れに売れていたリチャード・ギアが敏腕弁護士マーティン・ヴェイルを演じます。

そして、容疑者の青年アーロンを演じるのがエドワード・ノートン。もちろん今でもベテラン俳優として活躍しておりますが、なんとこの映画がデビュー作品なのです。この人の演技が凄いのなんの、凄すぎるのです。

その証拠に、この映画でエドワード・ノートンは、ゴールデングローブ賞助演男優賞を受賞、アカデミー助演男優賞、英国アカデミー助演男優賞にそれぞれノミネートされます。

「主役を喰うと」という言葉は、まさにこの人のこの役にあるのではと思うほどです。デビュー作でとんでもない演技力を発したエドワード・ノートンは、あっという間に名優の仲間入りを果たし、立て続けに出演作を増やします。

彼が演じた役は、教会のミサを手伝っていた聖歌隊の青年アーロン。実はこの青年は、多重人格者。その人格変化をエドワード・ノートンがものの見事に演じるのです。もうスイッチが入ったというのでしょうか、本当に別人になってしまうのです。その演技力に脱帽します。

鉛色の空が寒々しい冬のシカゴ。カトリック教会の大司教が全身をナイフで刺され殺されます。ほどなく容疑者が逮捕されます。容疑者は教会で手伝いをしているアーロン。彼は血まみれで現場から逃走しており、彼の犯行であることは間違いありません。

しかし、常にマスコミに注目され、華々しく活躍している弁護士マーティンは、さらに知名度を上げるため、彼の弁護を無償で引き受けることにします。アーロンはマーティンに、無実を訴えます。「自分は司祭に拾われ、住居と食べ物を与えられ恩があり、殺すわけがない」と打ち明けます。

捜査を続けるうちに、マーティンは司祭が聖歌隊の若者たちに性行為を強制していることを突き止めます。そのことをアーロンに問い詰めた瞬間、アーロンは突然豹変。

気弱なアーロンが突然マーティンの襟首を締め上げ、「俺はアーロンではない。ロイだ!」と叫ぶのです。戸惑うマーティン。彼はいったい…?そして、ロイと名乗るアーロンは「司祭を殺したのは俺だ。気弱なアーロンはなにも覚えていない!」と言ったのです。

そう、彼は気弱な性格のアーロンと短気で暴力的なロイという二人の人格を持つ多重人格者だったのです。そして、司祭殺しをしたのはロイの方であり、警察が捕らえたのはアーロンの方だったのです。

しかし、それを証明することはできない、マーティンはある方法を考えます。そして、最終公判。激しく検事から追求されたアーロンは、突然ロイに豹変し…。

この映画も最後にどんでん返しが待っています。このどんでん返しを迎えたとき、どのような感情が生まれるでしょうか?真実の行方は?正義の意義は?ここまで考えさせられるのはエドワード・ノートンの演技力のおかげでありましょう。